外出が億劫

日記とか忘備録とか。

子宮をとった

年明け頃に子宮体がんと診断されて、その後諸々検査されたりなんだりしつつ、3月下旬に子宮を摘出した。温存療法も提案されたけど断って、子供が埋めなくなることを選んだ。

術前の状況

当時、私は月経過多と不正出血が合わさって日常生活に支障が出る程になっていた。

血が出る

まずはシンプルにこれ。夜用ナプキンでも吸収しきれず常にショーツ型ナプキンか紙おむつを使用するようになった。
吸収しきれないというのは頻繁に換えればいいというような話ではない。椅子から立ち上がった時に出てくるあの一発で即夜用ナプキンからあふれる。瞬間的に出てくる量が多すぎて、横や前後から出てきてしまう。
ショーツ型なら前後からもれる心配がないので多少はマシだった。それでも頻繁に交換しないといけないし、着替えは必需品になった。
しかも不正出血も常にあるので毎日ずっとこれ。周期などというものは無く、朝は平気でも仕事中唐突に血が溢れ出てくることもあった。
血がどばどば出ていくのを感じながら歩いている時はずっと穴の空いたバケツになった気分だった。あと、出たばかりの血は温かいということを学んだ。温度が感じられるくらい出るので。

貧血

これだけ出血するのだからそりゃあそうだよな、という話ではある。酷い貧血になった。鉄剤を処方されていたが、飲んだ端から出ていくんだから焼け石に水だ。
些細な階段移動でも驚くほど息切れするようになったのと唐突に立っていることができなくなる事がある、というのが自覚している症状だった。
突然立っていられなくなるのが特に厄介で、電車通勤がかなり厳しくなった。座れないと倒れる、もしくは蹲ってしばらく動けなくなってしまうので電車を選ぶ必要がある。幸い勤務時間にうるさくない勤務先だったので、多少の遅刻は見逃してもらえた。職場によってはえらいことになっていた気がする。
とはいえ電車以外でも発動するし、5分前は元気でも突然動けなくなるから本当に困った。一度は休める場所もないスーパーで動けなくなって救急車を呼んでもらう羽目になったし。

告知

検査しにいった婦人科で貧血を発動してぶっ倒れ緊急入院するなどのイベントをこなして検査した結果、子宮体がんと言われた。検査結果を伝えられるとき、事前に強く親を呼べと言われていたので割とまずいんだろうなという予感はあり、あんまり驚きはしなかった。
新幹線必須の距離から父親に出てきてもらうことになって申し訳なかったのが記憶に残っている。

告知の時にもしかしたら温存もできるかもしれないとは言われた。でも正直あまり魅力を感じなかった。子供を産みたいと思ったことはないというか、子供は絶対に産みたくないと思っていたし今も思っている。

それに何より、温存するということは現在の出血と戦いながら暮らすということだ。
酷い貧血で何度も倒れかけたし一度倒れた。身動きがとれなくなって救急車を呼んだ。急な出血のとき、ナプキンどころかズボンからも溢れて、足を血が伝ってきて靴を汚した。一度着替えたのに2回めの大出血で着替えも汚れて、血まみれのズボンで自転車に乗って帰った。眠っていても血があふれる感触で飛び起きた。シーツを血染めにしすぎて換えがなくなり、洗う事を諦めて水に浸したキッチンペーパーでできるだけ汚れを吸ってそのまま使った。紙おむつとペットシーツを常用するようになった。

無理。本当に無理。いつか気が変わって子供が欲しくなった時のために、なんて緩やかな覚悟で無期限に続けられるような生活では絶対ない。一も二もなく「温存とかいいのでとってください」と言ったのも仕方ないことだと思う。
一緒に話を聞いていた父にはできれば温存のほうがいいのではないかと言われたけれど、到底頷けなかった。最終的には「本人の意思を尊重する」とまでは言って貰えたので、そのようにした。

手術と入院

思ったよりは負担は軽かった。術後暑いわ喉が渇くのに水も飲めないわ暑いわ暑いわでできる限りもうやりたくないが、必要があれば頭を抱えつつまたやるんだろうな……という感じ。
痛みについてはほとんどなくて、動いているとじんわり「痛い……か……?」という程度だった。熱が出たせいかとにかく暑いのに足に分厚い布を巻かれ(フットポンプ)、水分補給禁止なのが一番辛かった。麻酔が抜けきっていないと変な所に入ってしまうかもしれないかららしい。

入院は結局1週間程度だった。その後1週間くらい自宅療養して復職した。合計半月くらいの休みだったと思う。
入院中は検査や痛みと戦っている時以外はゲームをしたりタブレットでひたすらアニメを見たりネットの海を彷徨ったりしていた。wi-fi環境がいいかんじの病院だったので割と退屈しなかった。ネット環境さえあれば無限に暇が潰せる人種でよかった。食事があまり美味しくない事を除けば、何もしなくてもいいので普段の生活より大分楽でよかった。

自宅療養中はネットスーパーのお世話になった。手術があった上入院中ほとんど歩かなかったせいか、驚くほど体力が落ちていたので買い物もちょっと難しかった。室内でするような作業に問題はなかったのが幸い。とはいえ後半は友達と遊びに出かけたりして、結構普通に楽しめたので回復は早かったんだと思う。

多少落ち着いて

そんなイベントがあったのが前年12月〜3月頃なので、今は多少落ち着いている。見えるガンはとったものの、まだ気付けない大きさのガンはあるかもしれないのであと数年は定期検査が必要ではある、らしい。まだ一度目の検査もしていないのであまりピンとこない。

とりあえずの現状としては、出血がなくなったお蔭でメチャクチャ生きやすい。そもそもここ2,3年はずっと微出血が続いている有様だったので、本当に楽になったと感じる。
色の薄いボトムスや下着、そもそも選択肢から外していたものを選べる。服も靴も血が飛んだ時のことを考えなくていい。風呂上がりにダッシュでパンツとナプキンをつけなくても床が血で汚れない。このあたりは女性なら誰しも経験があるだろうが。私の場合は大分長期だったので「こんなに自由だったんだなあ」という気持ちになった。

そのあたりのメリットはメリットとして、体調が落ち着いてくると本当に良かったのかなあ、という気持ちも出てくる。どんなに面倒でも毎回絶対に買いに行かないといけなくて、でももしかしたら大当たりした可能性がある宝くじを二度と買えなくなった、というような気持ち……というのが一番近いと思う。
私にとっては、子供を産むことを自分自身が喜べるかどうかも含めて「宝くじ」。現状としては喜んだともあまり思えないんだけど……。でももしかしたら、親馬鹿を爆発させてうちの王子(姫)最高〜!とハイになっていた可能性もゼロではない。
まあそれを言い出すと、産まなきゃよかったと後悔する可能性もゼロではないよな……と思って自分を納得させている。

親や親戚に結婚・子供のことを触れられなくなったのも大分大きなメリットに感じる。物理的に子供を産めない女であることは、婚期だの何だのの話題に対しては無敵の防御カードだ。実家に帰るたびじわっと言われる事が増えてきていたのでありがたい。

あとは子供を見かけても無邪気に可愛いと思えるようになったというのがあって、これは自分でもけっこう驚いた。
いつか抱えなければいけないかもしれない重石のようなもの、抱えていないと周囲から叱られが発生する面倒な石、というフィルターがなくなると、子供、素直に可愛い。(この認識が大分歪んでいるという自覚はある。)

今後

大きめのライフイベントをこなしたもののこれといって大きな変化はなくて、なんとかもとの状態に戻したというだけのことなのでこれといって何もかわらなかった。
結婚観や子供に対する感覚の変化はあるけど、短期的にはおかねがいっぱい飛んでいったなあというだけのイベントだった。
疲れたしメンタルもさらに磨り減ったし睡眠不足は相変わらずだし死にかけだけど、人生色々あると思って明日もお仕事がんばります。